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チエ子
ヨルダンの港町アカバから
フェリーで紅海を渡って
有名な国、エジプトに入りました。
フェリーが遅れに遅れて、やっと入国できたのは夜9時くらいだったのですが、
そのままちょうどカイロ行きの夜行バスがあったので
まぁ結果オーライだな なんつってチケットを買おうとしたら
満席だと言われて乗れませんでした。
次のバスは朝6時出発で、近くの宿を探しましたが
どこも微妙に高かったので、
どうせあと9時間だしバス停で野宿することにしました。
本格的に夜から朝まで外で寝るのは、実はこの旅初体験です。
この2日後、うちのチエ子(母)から
「ちゃんとしたとこで寝てるか」という旨のメールが届いていました。
さらにしばらく後の話、
トレッキングしてくるというメールをチエ子に送ろうとした際、
「純(姉)と山に登ってきました」という旨のメールが届いていました。
母親ってすげぇなと なんとなく感じたのでした。
フェリーで紅海を渡って
有名な国、エジプトに入りました。
フェリーが遅れに遅れて、やっと入国できたのは夜9時くらいだったのですが、
そのままちょうどカイロ行きの夜行バスがあったので
まぁ結果オーライだな なんつってチケットを買おうとしたら
満席だと言われて乗れませんでした。
次のバスは朝6時出発で、近くの宿を探しましたが
どこも微妙に高かったので、
どうせあと9時間だしバス停で野宿することにしました。
本格的に夜から朝まで外で寝るのは、実はこの旅初体験です。
この2日後、うちのチエ子(母)から
「ちゃんとしたとこで寝てるか」という旨のメールが届いていました。
さらにしばらく後の話、
トレッキングしてくるというメールをチエ子に送ろうとした際、
「純(姉)と山に登ってきました」という旨のメールが届いていました。
母親ってすげぇなと なんとなく感じたのでした。
swim swim swim
小さい頃から泳げませんでした。
小1の泳力テストでの記録は5メートルでした。
小6のとき初めて25メートル泳げたときはみんなに大拍手されました。
そのあとプールサイドに上がったら倒れました。
高校のときの泳力テストの記録は30メートルです。
25メートル折り返し地点で1分も休んだのにもかかわらず、
残り5メートルしか泳げず、30メートルです。
中米でダイビングのライセンスを取ったとき、
最初に泳力テストがありました。足の着かない大海原で。
泳げませんと涙目で訴えたのに、
アメリカ人の美人インストラクターに「Go!Go!」と急かされ、
死ぬ気で50メートル泳ぎました。
終わった後にひとりこっそり吐きました。マジです。
ニワトリが鳥なのに空を飛べないように、
自分も人間だけど水の中を泳ぐことができないのです。
なんかもっとかっちょいい動物をたとえにしたかったけど
思いつきませんでした。ニワトリです。
だから!!だから!!!
この場所に来るのをすっごい楽しみにしてたの!!

ヨルダンとイスラエルの間にある死海では、
塩分濃度が異常に濃いため、どんなカナヅチでも絶対に浮くことができるのだ!!
ここでも沈んじゃったらどうしようかとハラハラしてたけど、
無事に浮上!!
足の着かないところでも全然浮きます。
必死にもがかなくても息ができます。
自由に泳げるって、こんなにも心豊かになるものだったんですね。
僕は魚、もとい、僕はイルカ。
人生で初めて、優雅な遠泳ライフを満喫したのです。

小1の泳力テストでの記録は5メートルでした。
小6のとき初めて25メートル泳げたときはみんなに大拍手されました。
そのあとプールサイドに上がったら倒れました。
高校のときの泳力テストの記録は30メートルです。
25メートル折り返し地点で1分も休んだのにもかかわらず、
残り5メートルしか泳げず、30メートルです。
中米でダイビングのライセンスを取ったとき、
最初に泳力テストがありました。足の着かない大海原で。
泳げませんと涙目で訴えたのに、
アメリカ人の美人インストラクターに「Go!Go!」と急かされ、
死ぬ気で50メートル泳ぎました。
終わった後にひとりこっそり吐きました。マジです。
ニワトリが鳥なのに空を飛べないように、
自分も人間だけど水の中を泳ぐことができないのです。
なんかもっとかっちょいい動物をたとえにしたかったけど
思いつきませんでした。ニワトリです。
だから!!だから!!!
この場所に来るのをすっごい楽しみにしてたの!!

ヨルダンとイスラエルの間にある死海では、
塩分濃度が異常に濃いため、どんなカナヅチでも絶対に浮くことができるのだ!!
ここでも沈んじゃったらどうしようかとハラハラしてたけど、
無事に浮上!!
足の着かないところでも全然浮きます。
必死にもがかなくても息ができます。
自由に泳げるって、こんなにも心豊かになるものだったんですね。
僕は魚、もとい、僕はイルカ。
人生で初めて、優雅な遠泳ライフを満喫したのです。

ごめんなさい(?)まじめな日記になりました。



ヨルダンの首都アンマンから西へわずか70km。
厳しい入国審査を経て、
ユダヤ人の国、イスラエルに入った。
イスラエルの首都、エルサレム。
でも国際的にはイスラエルの首都はエルサレムと認められておらず、
日本を含め多くの国の大使館はテルアビブにある。
東エルサレム、
城壁に囲まれた狭い旧市街の中に、
世界の3つの宗教の聖地がある。
ユダヤ教の聖地、嘆きの壁の反対側には
ムハンマドが昇天したとされる岩のドームがあり、
そこから西へ少し歩くと、
イエスキリストが処刑されたと伝わる場所がある。(現在は教会になっている)





アラブ系の商店の前を
十字架を掲げた一団が通り、
その列の間を、独特の帽子をかぶったユダヤ教の紳士が横切る。
それを眺める自分は自称、無宗教。
厳しい入国審査で尋ねられた。宗教は何か。
何も信じていないと答えると、
若い審査官は少し考え、審査用紙に「Buddhist」と記入した。
世界では無宗教などありえないのだ。
自然と考え込んでしまう。
宗教とは何なのか
神とは何者なのか
正しいとはどういうことか
エルサレムから南へバスで30分、
ベツレヘムと呼ばれるこの街は
キリストが産まれたとされる場所で、
その場所には生誕教会という立派な教会がある。
そして同時にこの街はパレスチナ自治区でもある。
ユダヤ教にとってイエスキリストは異端であるから、
生誕教会なんてパレスチナ人にくれてやろうとでも思ったのだろうか。
イスラエルとパレスチナ、
両者が互いに土地を奪い合うという悲劇的な展開になってしまった原因は、
イギリスにあった。
第一次世界大戦前、ここパレスチナを含むアラブの土地は、オスマントルコ帝国の支配下にあった。
戦争が始まると、オスマントルコはドイツ側について、イギリスやフランスと戦った。
このときイギリスは、トルコの支配下にあったアラブ人を味方にするための工作をする。
アラブ人に対して、戦後、アラブの土地にアラブの独立国家を作るという約束をした。
しかしその一方で、戦費の援助を受けたユダヤ人に対しては、
パレスチナの土地にユダヤ国家を作ろうという約束をしたのだ。
ところが、第二次世界大戦後、イギリスは統治領だったパレスチナの問題を、
無責任にも国連に丸投げしてしまった。
こうして、両者の土地をめぐる争いは、中東戦争へと発展した。
度重なる戦争で圧勝したイスラエルは、パレスチナのほとんどの土地を占領してしまった。
そして現在、
ヨルダンからの入国の際、国境がある場所はパレスチナ自治区であるはずなのに、
入国審査では「パレスチナ自治区へは行くか」と尋ねられる。
イスラエルは、表向きはパレスチナの自治を認めてはいるものの、
事実上パレスチナ自治区はイスラエルに管理されているのだ。


エルサレムとベツレヘムの間には
未だ建設途中とされる真新しい壁が延々とそびえ立つ。
防護壁と呼ばれるこの壁は、パレスチナ自治区を囲むような形で造られている。
ベツレヘム側(パレスチナ側)から
この壁に沿って歩いてみた。
ひとつひとつの落書き(?)が重く心にのしかかり、
いちいち足を止めざるを得なくなってしまう。



ベルリンの壁は時間と共に崩壊したけど、
果たしてこの壁は壊される時が来るのだろうか?
ベルリンの場合は、
壁の両側の住民同士、憎み合う気持ちはなかった。
だけどここは違う。
今すぐ壁をなくしてしまったら、
戦争が起きてしまう可能性がある。
1993年9月、アメリカのクリントン大統領の前で、
ラビン首相(当時のイスラエル首相)と
PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長が、
オスロ合意のもと握手を交わした。
ここから一気に和平への道が開かれると思われたが、
1995年11月、和平交渉に反対するユダヤ人の若者が
同胞であるラビン首相を暗殺した。
たとえ多数が和平を望んだとしても、
過激な少数派によってその望みは阻止されてしまう。
土地をめぐる激しい戦争で、
あまりにも多くの犠牲が出てしまった。
そしてそれは復讐という新たな争いの火種を作ってしまった。
個人が個人を憎む気持ちは、
両者が死ねばそこに憎しみはなくなる。
だけど
集団が集団を憎む場合、
この憎しみは少なからず次の世代へと受け継がれてしまう。
事実は事実として伝えていくべきだと思うけど、
伝える側に何かしらの感情がある場合、
その感情によって伝わる内容が変化してしまう。
怖いのは、憎しみの感情が大きいあまり、
事実が誇張されて伝わってしまう事。
こうなると憎しみは減るどころか大きくなってしまう。
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も
呼び名は違うけど、信じている神は同じ。
ただ「預言者」が違うだけで
それぞれ違う宗教へと枝分かれしてしまった。
同じ神を信じている者同士が互いに憎しみ合い、争う。
産まれて22年ぬくぬくと育った自分には
殺したい程人を憎む気持ちは分からない。
だからここで生きる人達の心の中は想像がつかないし、
こうしたら平和になるんじゃない?なんて言えたもんじゃない。
ユダヤ人の女の子は言った
「私はムスリムの子ともクリスチャンの子とも友達なの。
今はイースターの時期だから教会に遊びに行ったわ。」
ムスリムの男の子は言った
「ユダヤ教の友達はいないよ。ユダヤ人は好きじゃない。」
ない頭でしばらく考えた、
イスラエル、パレスチナ間の「壁」をなくす方法、
結局、「時間」かなと思った。
そしてかなり先になると思うけど
世界の宗教、自然消滅という形でなくなっていけばいい。
かなり刺激を受けました。
来て良かったです、イスラエル。
--------------------------------
-追記します-
これまでヨルダンから陸路でイスラエルに入る際は、
スタンプを別紙に押してもらうことが可能でしたが、
(パスポートにイスラエルのスタンプがあるとシリアなどの国に入国できなくなる)
5月に行った何人かの話では、
5月から法律が変わったと言われ、スタンプを押されてしまったらしいです。
けどたぶんまたOKになるんじゃないかなぁとは思います。
シリアいい人多い国
トルコを南に抜けてシリアに来ました
イスラム圏、特にシリアはいい人が多いよと聞いていましたが、
ほんとにいい人多かったです。
道を尋ねれば熱心になってくれるし
バス代出してくれるし
タクシーはきっちりメーターだし
缶ジュースおごってくれるし
アレッポのバスターミナルで、
バス会社のあまりの多さにめんどくさくなって、
近くのおじさんに
「ハマまで行きたいんだけどどこが一番安い?」って尋ねたら、
「よし ちょっと待ってろ」と言って
10分くらいして
「あそこが一番安かったぞ」と教えてくれました。
さすがに申し訳なかったです。
シリアは結局3日しかおらんかったのに
たくさん良い人に出会えました。
そんなシリアで、
大事な大事なキャッシュカードがないことに気付きました。
おそらくトルコで落としたんだと思われます。
実はキャッシュカードなくしたの2回目で、
1回目なくしたときはいろんな人に迷惑をかけてカードを再発行しました。
2回もなくすなんて
自分の不甲斐なさに落ち込みました。
ずーっとぼけーっと考え込んで、
もう日本に帰ろうかなとも思いました。
でもここで帰ったら
なんとなく負けた気がするのでやっぱり旅を続ける事にします。
幸いトルコで現金を多めに下ろしておいたのでしばらくは大丈夫です。
節約しながら旅行して
手持ちの現金がなくなったらまた考えます。



シリアで唯一観光したとこです。
気持ちはブルーだったけど
意外におもしろくて
ちょっとテンション上がっちゃいました。
イスラム圏、特にシリアはいい人が多いよと聞いていましたが、
ほんとにいい人多かったです。
道を尋ねれば熱心になってくれるし
バス代出してくれるし
タクシーはきっちりメーターだし
缶ジュースおごってくれるし
アレッポのバスターミナルで、
バス会社のあまりの多さにめんどくさくなって、
近くのおじさんに
「ハマまで行きたいんだけどどこが一番安い?」って尋ねたら、
「よし ちょっと待ってろ」と言って
10分くらいして
「あそこが一番安かったぞ」と教えてくれました。
さすがに申し訳なかったです。
シリアは結局3日しかおらんかったのに
たくさん良い人に出会えました。
そんなシリアで、
大事な大事なキャッシュカードがないことに気付きました。
おそらくトルコで落としたんだと思われます。
実はキャッシュカードなくしたの2回目で、
1回目なくしたときはいろんな人に迷惑をかけてカードを再発行しました。
2回もなくすなんて
自分の不甲斐なさに落ち込みました。
ずーっとぼけーっと考え込んで、
もう日本に帰ろうかなとも思いました。
でもここで帰ったら
なんとなく負けた気がするのでやっぱり旅を続ける事にします。
幸いトルコで現金を多めに下ろしておいたのでしばらくは大丈夫です。
節約しながら旅行して
手持ちの現金がなくなったらまた考えます。



シリアで唯一観光したとこです。
気持ちはブルーだったけど
意外におもしろくて
ちょっとテンション上がっちゃいました。


