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帰国しました



ここでの報告がまたずいぶんと遅くなりましたが、
先月、ちょうど1年間の旅を終えて、無事に帰国しました。
いったん宮崎の実家に帰ってのんびりしたあと、
また上京してきました。
最初はいろんなものが新鮮に感じられた日本の景色も、
旅の出来事がまるで夢であったかのように、
今ではだいぶ慣れてきて、平穏な毎日を送っております。
旅の1年で、これまでの人生で出会った人の数よりもたくさんの人に出会った気がします。
そしてその数だけ、自分の名前を名乗ってきたのだけど、
自分の名前を口にすればする程、当たり前のことなんだけど、自分の名前は上野弘祐なんだなと、名前と体と心がひとつにまとまった気がして、心なしかスッキリした気分になっています。
旅を終えてよく聞かれるのが、
この旅でどんな成長をしたのか、ということ。
これはなんというか、簡単にはまとめられんくて、
自分だけじゃなく、他の長期旅行者も、はっきりと答えられる人は少ないと思います。
この1年で何が成長したか、どう変わったか。
人の成長というのは、たとえば勉強にしろ、スポーツにしろ、
その裏で苦しい努力の積み重ねがあってこそ変わった自分を実感できるのであって、
その苦しみとは無縁の「旅行」において、もっと言うと苦しみどころか、
今までの日常に必ずあったはずの「やらなきゃいけないこと」すらも限りなく少ない自由な旅において、人間て、成長できると思いますか??
あるいは旅の始めは苦労していたかもしれない。
慣れない土地でひとり、不安と戦いながら自分の進みたい方向へ自分の力で進んでいく。
勇気を出したぶん、それなりに成長したのかもしれない。
でもこれは比較的早い段階でとっくに慣れてしまった。旅が日常になってしまった。
その慣れの実感が同時に成長の実感であるのかもしれないけれど、
慣れの実感というのは同時に成長の停止の実感でもあるのだ。
努力によっての目に見えて分かる成長というのは、長期の旅行では難しいと思う。
でも、成長の仕方というのはいくつかあって、たとえば小さい子供は自分の意思とは関係なく、どんどん新しいことに触れていって急速に成長していく。いろんなことに興味を持って、チャレンジして、失敗して、怒られて、成功して、褒められて、世の中の流れ、感覚を掴んでいく。これも立派な成長です。
そしてこの成長の仕方こそが、旅人の成長にあてはまるんだと思います。
簡単に言えば、「遊んで学ぶ」ということですね。
しかし残念なのが、この成長は自分自身では非常に分かりにくいということ。そして言葉に言い換えるのが難しいということ。
それでも無理やり言葉にしようとするならば、自分はこの1年で、
「世界の流れが掴めるようになった」・・・と書くとなんか経済に強い頭のいい人みたいな言葉になるので、もっと表現を変えると、
「世界の雰囲気がなんとなく分かった」になります。
1年間もかけて得たものが、
「世界の雰囲気がなんとなく分かった」です。
でも、世界の雰囲気が見えたからこそ、自分が育った日本のことも客観的に見ることができて、これまでの自分の常識というのは、狭くちっぽけな空間の中で得たものだったのだと気付くことができました。
世界と自分を比較してみて、自分はなんて弱くて小さい人間なのだろうと、何度も実感させられました。世界に出て大きくなって帰るどころか、自分の弱さに気付かされて帰ってきました。
しかし、これもまたひとつの成長であると言っていいのであれば、かなり大きな成長であると信じています。
あとは自分なりに、自分の理想とする人間を目指してがんばっていきます。
-----------
なんだか長駄文になってしまいましたが、
自分が書きたいのはこんなことではなくて。
365泊366日のこの旅行、
まーほんとに、心の底から楽しかったです。
毎日とはいわんけど、常に幸せを実感しておりました。
こんな経験ができてほんとに良かった。
楽しすぎて、このブログもだんだんおろそかになってしまいました。
ごめんなさい。こんな性格なのでした。
カウンターなども付けてないので
果たして何人くらい見てくれているのかも分かりませんでしたが、
そんなマイノリティなそこのあなた。どうもありがとうございました。
これでとりあえず、このブログも終わりにしようと思います。
でも、完全に終わるのもちょっとさみしいので、
やっぱり気が向いたときにでもちょろっと書くことにします。
たった1年だけど多くのものを見て、
これを見ないで死ぬって、ちょっと考えられんわ。
と、何度も思いました。
そしてまた、これを見ずには死ねないな、
と思うものがまだまだ世界中にたくさんあります。
旅のうずうずが、早くも襲ってきております。
夢は世界3周。
自分はまだまだ、旅に恋焦がれています

牛が道を塞ぐ街




ヒンドゥー教の聖地、バラナシです
デリーからすでにそうでしたが、
インド暑すぎ。
日本では、今日は35℃だ!猛暑日だ!
なんて言ってたけど、インドなんて毎日47℃とかです。
うっかり長く太陽の下におったのも悪かったけど、
生まれて初めて熱中症になって1日寝込んでました。
インドなめたらあかんで。

ほんまやで。
バラナシを流れる偉大な河、ガンガー。
ここでは毎朝ヒンドゥー教徒が沐浴をしています。
沐浴をすればすべての罪が洗い流されるという話です。
人々が沐浴するのをじっと眺めていると、
お前も川に入って来いみたいに言われましたが、
自分はこれからも無宗教を貫こうと決心したばかりだったので、
遠慮しておきました。

偉大なガンガーと神聖な沐浴は、ずっと眺めていても飽きません。
世界屈指の「考え事するのにもってこいの場所」だと思います。
しかしそれをさせないのがインド人。
人が真剣に考え事してるのに、ひっきりなしに声をかけてきます。
「日本人か?ガンガーはすごいだろう。シルク買わないか?」
「観光か?チャイでもご馳走するよ。絨毯買わないか?」
などなど。
そして無垢であってほしい、小さい子供までが、
ここでは残念ながら多くが擦れてしまっています。
「私ね、お医者さんになりたいの。だから今一生懸命勉強してる。でもね、学校まで歩いて1時間かかるの。だから私に自転車を買ってよ。」
この時のやり取りを、たまたま通りかかった同じ宿で台湾人のリュウくんが
写真に撮っててくれました。

リュウくんもまた長期旅行者で、日本語が少しできたので、
別れた後のメールを100%日本語で送っていたら
3往復くらいめで返信が来なくなりました。
どっかで体調でも崩しているのかなぁ??
美しきタージマハル
デリーから列車で6時間くらい?
偉大なる建築、タージマハルのあるアーグラに来ました。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが
愛する亡き妃の為に、国の財政を傾けてまで建設したお墓です。
この白いタージマハルの、川を挟んで対岸に、
王様は自分の墓として黒いタージマハルを建設する予定だったそうです。
しかし、晩年の王様は実の息子によってアーグラ城に幽閉され、
自分の墓は建設されることなく、王様はアーグラ城から見える
白いタージマハルを、毎日涙を流しながら眺めていたそうです。
ガイドブックとかには感傷的に書かれてはいるけれど、
ちゃんと考えたら、そりゃ当然でしょう って思います。
自分のエゴのために国のお金に手を出したのだから。
考えるほど腹立たしくさえなってきます。王様失格でしょう。
もし当時の彼に会うことができたなら、こう言ってあげたいです
「愛ってゆうのはね、そういうことじゃないんだよ、君ぃ。」
22才上野でした
偉大なる建築、タージマハルのあるアーグラに来ました。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが
愛する亡き妃の為に、国の財政を傾けてまで建設したお墓です。
この白いタージマハルの、川を挟んで対岸に、
王様は自分の墓として黒いタージマハルを建設する予定だったそうです。
しかし、晩年の王様は実の息子によってアーグラ城に幽閉され、
自分の墓は建設されることなく、王様はアーグラ城から見える
白いタージマハルを、毎日涙を流しながら眺めていたそうです。
ガイドブックとかには感傷的に書かれてはいるけれど、
ちゃんと考えたら、そりゃ当然でしょう って思います。
自分のエゴのために国のお金に手を出したのだから。
考えるほど腹立たしくさえなってきます。王様失格でしょう。
もし当時の彼に会うことができたなら、こう言ってあげたいです
「愛ってゆうのはね、そういうことじゃないんだよ、君ぃ。」
22才上野でした
デリーの洗礼
デリーの空港から市内へ行く時の、
タクシーあるいはリキシャの運転手との会話マニュアル
・ まず絶対に、インドに来たのは初めてだと言ってはならない。
・ 観光であっても、仕事で来た、あるいは友人に会いに来たと言う。
・ 今後の予定を聞かれても、決して予定がないと答えてはならない。
・ ホテルの予約がなくても、予約をしていると言う(ホテルはできるだけ予約して行く)
ヨルダンから飛行機で飛んできて
インドの首都、デリーに入りました。
上記のような、インドを知らない人にはよく分からないであろうことが、
インドのガイドブックにはたくさん書かれています。
典型的な被害は、空港からのタクシーで、
なにも分からないまま、知らない旅行会社に連れて行かれ、
あっというまに高額のツアーを組まされるというもの。
タクシーが目的地に行かない国なんです。
そんな異常な国、インドに入りました。
空港からはバスが安かったのでバスで市内まで行きました。
が、
よく分かんない所で降ろされてしまいました。
現在地が分からなくて困っていると、
あっという間にたくさんの人たちに囲まれて、
「オレがお前の行きたいとこまで連れて行ってやる!」「いやオレが!」
と、みんな異常な優しさをアピールしてくれました。
おもしろそうだったので一人に付いて行ってみると、
予想通り、そいつはリキシャの運転手でした。
リキシャには乗らないよ 歩いてニューデリー駅まで行く
と言ってるのに、
粘りに粘られて、5ルピー(約10円)で連れて行く
と言い出したので、現在地も分からなかったし、
乗ってみることにしました。
途中の会話で、
「インドは初めてか?」と尋ねられました。
ガイドブックのマニュアルは読んでいましたが、
インド人にびびるのもあほらしく思ったので、普通に「初めてだよ」
と答えました。
このときの運転手の最高のニヤケ顔が忘れられません。
この後もほんとにガイドブック通りの質問が飛んできましたが、
全部正直に、「観光だ 予定は決めてない ホテル決めてない」と答えました。
運転手最高に嬉しそうな顔してました。
結果、
「今日はフェスティバルがあって治安が悪くなってるから、今からツアーを組んでデリーを出た方が良い。俺が旅行会社に連れて行ってやる」と、
初対面とは思えない優しさ溢れる提案をしてくれました。
でも、フェスティバルなんて嘘だと分かっていたので、
「いいから駅まで行って」
と言うと、素直に黙って走り出しました。
こんなもんかデリー なんて思ってると、突然知らない第3者に道を塞がれて、
「この先は危険なんだぞ、知らないのかフェスティバルだ!引き返せ!」
とまくしたてられ、そのおじさんは運転手にも何やら、
「こんな危険なとこに旅行者を連れてくるな!」的な罵倒を浴びせていました。
さすがにこれは予想外で、
しかも運の悪いことに、(後から知ったのですが)この日は選挙があって、
ほとんどの店がシャッターを降ろしていたので
ちょっと心に迷いが出てきてしまいました。
迷っているうちに、リキシャは当然のようにツアー会社へ。
「今すぐデリーを離れたほうがいい。こんなツアーはどうだ」
いきなりツアーの誘いです。
一応値段を聞いてみると、インドの物価からは想像もつかないようなびっくりする金額でした。
10分ほど粘られて、Noを繰り返しているとようやく諦めたようで、
リキシャの運転手にヒンディー語で「こいつはダメだ」的なことを言ってました。
そしたら運転手、コミッションもらえないのが腹立たしいのか、急に態度を変えて、
「50ルピー払え」と、よく分かんないことを言い出しました。
さっき5ルピーって言ったでしょ お釣りもあるって言ったでしょ
といって50ルピー渡すと、「釣りがないから変えてこい」と、また良く分かんないことを言い出しました。
「お前が変えてこい」と言い返し、ブツブツ言って外に出て行ったと思ったら、
すぐに帰ってきて、どこも店が閉まってるから変えられないと不機嫌になってました。
「だからもう50ルピーでいいだろ」と、またまたよく分かんないことを言い出したので、約束が違うだろと言うと、50ルピーを返されて、
「もういいから出て行ってくれ」と、さじを投げられました。
こんな感じで、
(全部書くとまだあと3倍くらい書けるのですが、めんどくさいので割愛します。)
現在地を知りたいために、
結局5件のツアー会社をたらい回しにされ、
(不思議なのは、道にいる普通の人に道を尋ねてもツアー会社に連れて行かれること)
4時間くらいかかってやっと、
現在地を知ることができたのでした。
最後に唯一、正直に答えてくれたインド人に言われた言葉。
「インドでは強い心を持て」
この日は本気で、インド人半分くらい死ねばいいのに と思いました。笑
タクシーあるいはリキシャの運転手との会話マニュアル
・ まず絶対に、インドに来たのは初めてだと言ってはならない。
・ 観光であっても、仕事で来た、あるいは友人に会いに来たと言う。
・ 今後の予定を聞かれても、決して予定がないと答えてはならない。
・ ホテルの予約がなくても、予約をしていると言う(ホテルはできるだけ予約して行く)
ヨルダンから飛行機で飛んできて
インドの首都、デリーに入りました。
上記のような、インドを知らない人にはよく分からないであろうことが、
インドのガイドブックにはたくさん書かれています。
典型的な被害は、空港からのタクシーで、
なにも分からないまま、知らない旅行会社に連れて行かれ、
あっというまに高額のツアーを組まされるというもの。
タクシーが目的地に行かない国なんです。
そんな異常な国、インドに入りました。
空港からはバスが安かったのでバスで市内まで行きました。
が、
よく分かんない所で降ろされてしまいました。
現在地が分からなくて困っていると、
あっという間にたくさんの人たちに囲まれて、
「オレがお前の行きたいとこまで連れて行ってやる!」「いやオレが!」
と、みんな異常な優しさをアピールしてくれました。
おもしろそうだったので一人に付いて行ってみると、
予想通り、そいつはリキシャの運転手でした。
リキシャには乗らないよ 歩いてニューデリー駅まで行く
と言ってるのに、
粘りに粘られて、5ルピー(約10円)で連れて行く
と言い出したので、現在地も分からなかったし、
乗ってみることにしました。
途中の会話で、
「インドは初めてか?」と尋ねられました。
ガイドブックのマニュアルは読んでいましたが、
インド人にびびるのもあほらしく思ったので、普通に「初めてだよ」
と答えました。
このときの運転手の最高のニヤケ顔が忘れられません。
この後もほんとにガイドブック通りの質問が飛んできましたが、
全部正直に、「観光だ 予定は決めてない ホテル決めてない」と答えました。
運転手最高に嬉しそうな顔してました。
結果、
「今日はフェスティバルがあって治安が悪くなってるから、今からツアーを組んでデリーを出た方が良い。俺が旅行会社に連れて行ってやる」と、
初対面とは思えない優しさ溢れる提案をしてくれました。
でも、フェスティバルなんて嘘だと分かっていたので、
「いいから駅まで行って」
と言うと、素直に黙って走り出しました。
こんなもんかデリー なんて思ってると、突然知らない第3者に道を塞がれて、
「この先は危険なんだぞ、知らないのかフェスティバルだ!引き返せ!」
とまくしたてられ、そのおじさんは運転手にも何やら、
「こんな危険なとこに旅行者を連れてくるな!」的な罵倒を浴びせていました。
さすがにこれは予想外で、
しかも運の悪いことに、(後から知ったのですが)この日は選挙があって、
ほとんどの店がシャッターを降ろしていたので
ちょっと心に迷いが出てきてしまいました。
迷っているうちに、リキシャは当然のようにツアー会社へ。
「今すぐデリーを離れたほうがいい。こんなツアーはどうだ」
いきなりツアーの誘いです。
一応値段を聞いてみると、インドの物価からは想像もつかないようなびっくりする金額でした。
10分ほど粘られて、Noを繰り返しているとようやく諦めたようで、
リキシャの運転手にヒンディー語で「こいつはダメだ」的なことを言ってました。
そしたら運転手、コミッションもらえないのが腹立たしいのか、急に態度を変えて、
「50ルピー払え」と、よく分かんないことを言い出しました。
さっき5ルピーって言ったでしょ お釣りもあるって言ったでしょ
といって50ルピー渡すと、「釣りがないから変えてこい」と、また良く分かんないことを言い出しました。
「お前が変えてこい」と言い返し、ブツブツ言って外に出て行ったと思ったら、
すぐに帰ってきて、どこも店が閉まってるから変えられないと不機嫌になってました。
「だからもう50ルピーでいいだろ」と、またまたよく分かんないことを言い出したので、約束が違うだろと言うと、50ルピーを返されて、
「もういいから出て行ってくれ」と、さじを投げられました。
こんな感じで、
(全部書くとまだあと3倍くらい書けるのですが、めんどくさいので割愛します。)
現在地を知りたいために、
結局5件のツアー会社をたらい回しにされ、
(不思議なのは、道にいる普通の人に道を尋ねてもツアー会社に連れて行かれること)
4時間くらいかかってやっと、
現在地を知ることができたのでした。
最後に唯一、正直に答えてくれたインド人に言われた言葉。
「インドでは強い心を持て」
この日は本気で、インド人半分くらい死ねばいいのに と思いました。笑
エジプト観光
エジプトのカイロで沈没してました。
ほんとはルクソールとかアスワンとか
エジプトの南の方にも行く予定でしたが
なんかめんどくさくなったのでやめました。
カイロの宿で仲良くなった日本人が3人いたのですが
3人とも南の方には行かないみたいでした。類は友を呼びます。
最初に仲良くなったゆっく君とは
あえて年齢を聞かずにどこまで仲良くなれるか
こっそり挑戦してみました。
結果、ガンガンタメ語で結構仲良くなれました。
結局自分の2コ上くらいでした。
次に仲良くなったハタ君とは
あえて名前を聞かずにどこまで仲良くなれるか
こっそり挑戦してみました。
結果、5日目にしてハタ君から名乗ってくれて試合終了でした。
このときはまだお互い敬語だったので、どちらかというと失敗です。
この後、歳は自分の1コ上だと分かって、
「じゃあお互いタメ語でいいねっ☆」
なんていう年下のオレからの意味わかんないクソ生意気な提案を
ハタ君は快く受け入れてくれました。
三軒茶屋にハタ君のお兄さんがやってる「KAYA」
というレストランがあるそうです。ぜひ。
そんなエジプトでは
ピラミッド見に行ったり
紅海でちょっと泳いだりしました。



ほんとはルクソールとかアスワンとか
エジプトの南の方にも行く予定でしたが
なんかめんどくさくなったのでやめました。
カイロの宿で仲良くなった日本人が3人いたのですが
3人とも南の方には行かないみたいでした。類は友を呼びます。
最初に仲良くなったゆっく君とは
あえて年齢を聞かずにどこまで仲良くなれるか
こっそり挑戦してみました。
結果、ガンガンタメ語で結構仲良くなれました。
結局自分の2コ上くらいでした。
次に仲良くなったハタ君とは
あえて名前を聞かずにどこまで仲良くなれるか
こっそり挑戦してみました。
結果、5日目にしてハタ君から名乗ってくれて試合終了でした。
このときはまだお互い敬語だったので、どちらかというと失敗です。
この後、歳は自分の1コ上だと分かって、
「じゃあお互いタメ語でいいねっ☆」
なんていう年下のオレからの意味わかんないクソ生意気な提案を
ハタ君は快く受け入れてくれました。
三軒茶屋にハタ君のお兄さんがやってる「KAYA」
というレストランがあるそうです。ぜひ。
そんなエジプトでは
ピラミッド見に行ったり
紅海でちょっと泳いだりしました。


